公益事業
過去の受賞者リスト
個人受賞者のお名前、年齢や業績紹介欄の年数などは、すべて受賞式の実施された時期のものです。
| 表彰年 | 府県都市名 | 受賞者氏名·団体名 | 業績 |
|---|---|---|---|
| 第5回 昭和54年 |
京都 |
在宅障害児支援 |
在宅の障害(児)者のため、自宅や所有地を生活訓練の場に提供して週1回の集まりを続けた。提供した施設は、「京都フレンドリーハウス」に発展、現在は障害者(児)8人とボランテイア12~13人の集いの場となっている。柴橋さん自身も障害児の母として、保護者同士の交流の必要を痛感し、養護学校の保護者会や父母の会の中心的リーダーとして活躍している。 |
| 第5回 昭和54年 |
滋賀 |
いぶきクラブ |
昭和44年4月、滋賀県立短期大学のサークル活動として発足。1~2週に1度の在宅障害児訪問を10年間つづけた。当初は不安視されたが、会員たちの粘り強さで先輩から後輩へ受け継がれていった。訪問先では、音楽鑑賞や車イスで町を散歩するなど、短い時間を有意義に過している。また、「小さな心のふれあいから大きな和」をモツトーに施設訪問、父母の会とのキャンブ、運動会、クリスマスパーテイなど多彩な活動を行っている。 |
| 第5回 昭和54年 |
奈良 |
盲人福祉友の会 |
昭和38年に発足した奈良県点訳奉仕会と同41年10月結成の録音奉仕会が昭和45年に合併し、一丸となって点訳、録音の奉仕につくしてきた。このボランティア活動は16年もの長い間つづけられ、点訳奉仕・青垣会会員40人、録音奉仕・若草会会員74人が、あらゆる困難を克服してつづけてきた。 |
| 第5回 昭和54年 |
和歌山 |
高齢者介護 |
身寄りのない、ひとり暮らしの老人2人を通算20年10か月もの間、家庭に引きとり、家族同様に世話をした。ひとりの老人は、昭和32年11月から亡くなった昭和49年9月まで16年10か月。もう1人は、80歳の身よりのない老人で、昭和50年6月から昭和54年までの4年間、介護につくした。また、町の住民福祉運動の啓発にも大いに貢献している。 |
| 第4回 昭和53年 |
大阪 |
里親18年 |
昭和35年に大阪府里親として登録して以来18年間、里親としての活動を続けてきた。この間、4人の子供を養育。また、子供たちの長所を把握して、美容学校(2人)、洋裁学校(1人)、短大(1人)などに進学させ、全員社会人として自立している。里親会の役員としても、制度の発展のために活動し、昭和52年には大阪里親連合会副会長に就任、大阪府の里親活動の中心的役割を果たしている。 |
| 第4回 昭和53年 |
大阪 |
ベルの会 |
大阪ボランティア協会の婦人ボランティアスクールで受講した主婦が集って創立。施設の児童に対して奉仕活動することを主眼とし、昭和43年から養護施設高津学園に毎月1回訪間して、衣類の補修、廃品利用の袋物作りなどボランテイア活動を10年間続けている。時間と手間のかかる作業は、施設の子供たちばかりでなく、保母に対しても「物を大切にする心」を育む生きた教育となるなど幅広い成果を挙げいる。 |
| 第4回 昭和53年 |
兵庫 |
里親16年 |
昭和37年に里親として登録。神戸市家庭養護寮の指定も受け、以来16年にわたつて11人のこどもを養育。養育された子供たちは、夫妻の薫陶を受けて健全な社会人として巣立ち、いまでも何かにつけ相談に訪れ、親子の関係が切れることなく続いている。また、平次さんは神戸市里親会の会長として、里親の指導と里親制度の発展と児童福祉の向上に取り組んでいる。 |
| 第4回 昭和53年 |
兵庫 |
グループ「べべ」 |
昭和39年から神戸市児童相談所の一時保護児童の理髪奉仕をしていた三好さんのグノレープと、同じ目的で理髪奉仕をしていた他のグループが昭和43年に合流。会員は毎月最終月曜日の定休日を利用して14年間、理髪奉仕を続けている。児童の中には反抗したり、非協カ的な態度とるものもいるが、常に笑顔を絶やすことなく、温かい愛情をもって接している。「ベベ」の奉仕活動は職員からも感謝され、子供たちの閉ざされた心を開くことでも大いに成果を挙げている。 |
| 第4回 昭和53年 |
兵庫 |
藤美会 |
昭和42年4月に高齢者との交流を目的として、赤穂市の職域、青年団、婦人会、学生を中心に結成され、高齢者施設の慰間をはじめた。会員は、それぞれ舞踊、奇術、腹話術などの技芸を持ちより、赤穂市内の老人ホームのほか県外の施設などへ11年かにわたって慰聞を続けた。訪問施設数は50か所にもおよんでいる。 |
| 第4回 昭和53年 |
奈良 |
視覚障害者支援 |
盲人福祉運動に従事していた視覚障害の父が昭和23年に奈良県盲人協会(奈良県覚障害者協会の前身)の初代会長に就任。その介護者として手助けする一方、会員にも親身な世話をしてきた。昭和39年に死去した父の遺志をついで家業の和菓子製造業のかたわら、協会の総務及びガイドヘルパーとして盲人福祉の向上と協会運営に献身。35年もの長い間、目の不自由な人たちの手、足そして心となっての活動をしてきた。 |