産経市民の社会福祉賞

過去の受賞者リスト

個人受賞者のお名前、年齢や業績紹介欄の年数などは、すべて受賞式の実施された時期のものです。

表彰年 府県都市名 受賞者氏名·団体名 業績
第8回
昭和57年

和歌山

障害者スポーツ支援
淡路 晃弘さん(37)
土井 晃さん(35)

 2人は中学校教員のかたわら、昭和48年に、車椅子を使用する福祉工場従業員の機能回復訓練を依頼され、車椅子バスケットボールチームを結成。それぞれ監督、コーチとして「のじぎく杯争奪車椅子バスケット大会」で連続優勝に導いた

第8回
昭和57年

奈良県

ボランティアグループ
「みみなし」
(代表=西谷 道夫)

 昭和52年、分散していたボランティアグループを糾合して「みみなし」を結成。いらい毎月1回地区の独居老人世帯に給食サービスを行い、毎年春には独居老人と養護老人ホーム「橿原園」の入居者を花見、映画会に招待。また特別養護老人ホーム「かなはし苑」で入浴介助奉仕を行うなど、地域福祉の推進にに貢献した。

第8回
昭和57年

京都

誕生日ありがとう運動京都友の会
(代表=馬場 京子)

 昭和45年に友の会発足いらい、精神薄弱児施設「白川学園」を月2回訪問し、掃除、手伝い、衣類の補修などのほか、子供たちのよき遊び相手となり、保護者や関係者から感謝されている。また「映画と講演」の巡回班を編成、保育園、婦人会等を巡回し、あわせて福祉の問題をみんなで考える機会を積極的につくるなど活発にボランティア活動を行っている。

第8回
昭和57年

京都

ボランティア教育
福田 利重さん(54)

 教諭として在職していた聖ヨゼフ学園「日星高等学校」が、昭和53年度から「福祉教育普及指定校」となったのを機会に、全校的な福祉教育の指導、推進者として中核的な役割を果たしてきた。とくにボランティア活動の意義や重要性を実践を通じて訴えている。また舞鶴社会奉仕活動センター運営委員長として発足間もないセンター事業の育成に努力するなど、地域ボランティア活動の推進に貢献した。

第8回
昭和57年

滋賀

長谷美容室
(代表=長谷 せい)

 身体障害者のカットをしたのがきっかけで、外出する機会の少ない済生会老人ホームヘ従業員が自発的に訪問、美容奉仕をはじめた。その後、昭和47年からは「びわこ学園」「あざみ寮」へ2か月に1回5、6名ずつが美容奉仕を行うなど、ボランティア活動を行ってきた。

第8回
昭和57年

兵庫

明和工業協同組合
(理事長=橋口 展)

 昭和44年、身体障害者5人で協同組合を設立、いらい13年間にわたりハカリ製造工場を経営。この間、重度の身体障害者を多数雇用(従業員31人中障害者27人)した。また代表者の橋口氏自身も車イス使用者であり、スポーツマンであったことから組合内で車椅子バスケツトボールのチームをつくり、スポーヅ活動や文化活動を支援、障害者の社会参加を促進した。

第8回
昭和57年

兵庫

障害者の就労支援
永野 修身さん(45)

 昭和34年いらい、知的障害者の採用や実習生を自社(食品容器製造販売)で引き受けるなど就労支援活動につくした

第8回
昭和57年

大阪

友愛クラブ
(代表=滝沢 巧)

 昭和39年、大阪装粧品工業協同組合の役員有志で「友愛クラブ」を結成。地域の児童擁護施設の行事に参加、児童との交流、励しを行ってきた。また昭和44年から大阪府社会福祉協議会を通じ、毎月千円を友愛奨学資金として養護施施設数か所に支給するなど、児童福祉の増進に寄与した。

第8回
昭和57年

大阪市

施設出身者の就労支援
赤埼 吉雄さん(66)

 12年間にわたり、児童福祉施設出身者の就職に努力してきた。氏は戦前東京でタイルエ事店見習工として技能を修得、苦労を重ねて昭和37年株式会杜赤崎タイル店を設立。昭和45年就職することがむずかしい児童福祉施設出身者延10名をタイル工として雇用、あるいは他に就職のあっせんをしてきた。

第7回
昭和56年

大阪市

大阪精神薄弱者育成会カウンセラーグループ

 昭和42年の創立以来、知的障害者のキャンプ、運動会など各種行事に、企画作りの段階から参加。ボランティアの育成にも努めた

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